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シーボルト台風と名付けられた幕末の巨大台風の真実

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今年(2014年)最強の台風と言われる台風19号がじわりじわりと列島を襲い始めてきました。
ここでは、幕末に九州地方を襲った大型台風と、ある有名事件の関係を書きたいと思います。

 

幕末の九州地方を襲った巨大台風

文政11年(1828年)9月17日、『子年の大風(ねのとしのおおかぜ)』と呼ばれる大型台風が、九州地方を襲いました。

過去300年間に日本を襲った台風の中では最大級のものとされている。

出典:シーボルト台風 - Wikipedia

佐賀藩だけで死者が約1万人、九州北部全体で死者約1万9千人に達する被害が出た。

出典:シーボルト台風 - Wikipedia

引用元にあるように、かなりの巨大台風だった事がわかります。

そして、同じく引用元のリンクには『シーボルト台風と記載されています。
なぜ、『シーボルト台風とも呼ばれるのでしょうか?

 

『シーボルト事件』との関係

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シーボルトといえば、鎖国時代に長崎の出島でオランダの医師として活躍、西洋医学教育を講義し、後の日本の医者や学者を育てた功績をもつドイツ人です(オランダ人と偽っていました)。
そのシーボルトが起こしたのが『シーボルト事件』。

文政11年(1828年)9月、オランダ商館付の医師であるシーボルトが帰国する直前、所持品の中に国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図などが見つかり、それを贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分され、景保は獄死した(その後死罪判決を受けている)。シーボルトは文政12年(1829年)に国外追放の上、再渡航禁止の処分を受けた。

出典:シーボルト事件 - Wikipedia

シーボルトが日本地図を国外へ持ち出そうと、オランダ船に積んでいた日本地図などが、台風による船の座礁で幕府の臨検により見つかってしまった事で、この台風が『シーボルト台風と呼ばれるようになりました。

 

シーボルト台風は後世の創作

長崎市鳴滝にあるシーボルト記念館の研究報告書である『鳴滝紀要』第六号(1996年)発表の梶輝行の論文「蘭船コルネリウス・ハウトマン号とシーボルト事件」で、これまで通説だった暴風雨で座礁した船中から地図等のご禁制の品々が発見されたという説が後日の創作であることが判明した。

出典:シーボルト事件 - Wikipedia

今から約20年前に、ようやく創作である事が判明しましたが、シーボルト台風は定着しており、汚名返上はなかなか困難なようです。

 

シーボルトの孫娘、楠本高子の顔は以下記事でどうぞ。